彼岸前の掃除とお参り

お彼岸の墓地の掃除やお参りはいつも彼岸の入りの前日か入りの朝に行っているのだが、彼岸入りの前日はかなり暑くなるという予報なのでその前にとりあえず掃除だけしに霊園へ。彼岸前という事でお寺の従業員も霊園内の作業中であった。
秋の彼岸はお盆からまだ一か月ほどなので、お墓もまだそれほど汚れてはいなかった。
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彼岸入りの前日は大変風が強かったので、入り当日の朝早くに霊園へ。5時に到着したのだが、今日は曇り空の為に尚更にまだ暗かったが、お花とお線香をあげるだけなのでお墓のところへ移動。まだ暗くてイノシシでもでてきそうな気配だった。一番は沢山のやぶ蚊が体中にまきつきまた何か所も刺されて閉口してしまった事だった。
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帰る頃にはようやく明るくなってきた。
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昨年は母親の七回忌であったのだが、私のうっかりミスでしそこなってしまっていた。命日はちょうどこの秋の彼岸中でもあり、一年遅れてしまったのだが菩提寺にせめて塔婆だけでもとお願いした。


母親の命日という中で、以前にもちょっと記事にさせてもらった事がありましたが、また書かせていただきます。

成田空港やその隣接する航空科学博物館では、毎年空の日(ちょうどこの彼岸中の9月20日)に合わせてその日に近い土日をあてて空の日フェスティバルを開催していた。
そのような中で、私達のバンドは航空科学博物館から演奏依頼で毎年お声がかかり第1回目から通算でも20回は演奏していた。

それは7年前の空の日フェスの時での出来事であった。この時は土曜日が博物館開催で、翌日の日曜日が空港開催となっていた。そして演奏前日の金曜日の夜にはメンバーも皆集まって明日の為の最後の練習を私の家でおこなっていた。そんな練習中に女房が私を呼びにきた。聞くと母親の様子がおかしいとの事ですぐ見に行く、メンバー達は気を使ってその時点で終わりにしてくれた。
私の母親はすでに何年もパーキンソン病を患っていて、私がお世話になっている病院での通院治療そして在宅介護という状態であった。この年は病状が悪くなるばかりで特に8月に入ってからとうとう寝たきりになってきて、もう病院の通院治療も不可能になり、かといってその病院への急な入院も空きがなく難しかった。そのよう状況下で定期的に町のかかりつけの医師に往診してもらうようになっていた。
そして演奏日の1週間前頃にはさらに容体も悪くなりさすがに自宅での介護も無理となり、かかりつけ医師にも相談して町内の病院に週明けの月曜日に入院させることとなった。
そんな状態での気がかりはあったが、フェスでの演奏のキャンセルは考えていなかった。毎年ほぼ同じ内容で、11時スタートでバンド演奏(約30分)~キャラクターショー(戦隊シリーズ)~12時半より二回目のバンド演奏~二回目のキャラクターショーという流れであった。
またネットやポスター等で早くから告知もされていて、当然私達の演奏もその中に記されていたし、たかがアマチュアの演奏とは言え、博物館には長くお世話になってもいる中でイベントの穴をあける事は私にはできなかった。

演奏当日の朝、メンバー達は皆時間通りに私の家に集合、前日先輩より拝借したハイエースバンに器材を詰め込み出発となった。
8時には現着した。
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早速に器材のセッティングを開始した。そんな最中に女房から携帯電話が入った。「今お母さんが亡くなった」との電話だった。あまりの突然の出来事に一瞬言葉が出なかった。女房の話では、私達が出発した後に、部屋に様子をみにゆくと様子がおかしいのですぐに先生を呼び診ていただいたらしいのだが、だめだったという事であった。
兎に角女房には近い親戚と近所のケイヤクに連絡をさせた。
ケイヤクとは昔からの地元での習わしであって、近所の2件ほどとその関係を結んでいて、お互いの家で誰かが亡くなったりすると、真っ先に当家に出向き、お寺をはじめ区の人達の招集や火葬から通夜式そして葬儀や最後の納骨までに関わるあらゆることを当家と一緒に決めて手配までもしてゆく重要な役割があった。現在では自宅使用が減り斎場使用が多くなってその分以前よりも負担がすくなくなってきたが、以前は区長(今でも葬儀委員長を務める)とケイヤクとで区内の人達の役割分担(受付や料理や陸尺等)なども決めたものであった。

話を博物館に戻します。

画像は器材のセッティングも終わったところ。母の事は1回目の演奏終了まではメンバーにはまだふせていた。
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一度目の演奏の様子(どなかたかが撮っていてくれたユーチューブからの動画からの拝借画像)
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私達の演奏後の1回目の戦隊ショー。この間にはメンバーや博物館の担当職員には話したりした。
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2回目の演奏も終わりいつでも積み込みができるように待機。画像ではまだ2回目のショーが始まっていない。
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演奏の合間やショーの時間では自宅の女房やケイヤクのOさんとひっきりなしに連絡をとってゆき電話で決めでられる事は進めていった。
ショーも終わったので、車を会場に入れようとしたら、なんとキャラとの握手とサイン会が始まり親子連れの長蛇の列ができてしまった。これではまだ車の移動もできなくなった。
ケイヤクのOさんからは、兄弟親戚も皆すでに集まっていて、午後3時には坊さんもきて枕経も始まる予定との事。しかしこの人の行列の中で無理はできない。ケイヤクのOさんにはなんとか間に合うように帰りますからとしか言えなかった。
そしてなんとか枕経には間に合うことができた。
そしてその数日後に通夜式、葬儀は菩提寺にて執り行ったのだった。ケイヤクのOさんは兎に角機転が利く方でこの時も随分と助けられたものだった。葬儀当日などは自身の午後からのカテーテル手術を控えている中でギリギリまで務めてくれたりもした。

以前に寺内タケシ&ブルージーンズのコンサートの寺内氏のMCの中で「今アニキから母が亡くなったと連絡がありました。母が生前一番好きだったブルースターの曲を演奏させていただきます」との事で演奏が始まったものであった。それを聞いて本当に親の死に目に会えないものなんだと考えさせられたりした。
このように芸能人は親の死に目に会えないとよく言われるが、私のような普通の人でもこのような事が起きるのだと実感させられた出来事であった。

今年の秋の彼岸ではあの日の出来事がいつも以上に強く思い出されてしまった。合掌。



posted by マナオ at 06:00Comment(0)

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