ブルジャケの部屋

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zoom RSS 土産作りと手術入院

<<   作成日時 : 2018/04/15 09:09   >>

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退院後はタケノコ掘りも出来なくなる為、その前にと手術入院の前日の朝に掘りに行き皮を剥いたタケノコを水に浸けておく。
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スーパーで見つけたお得なジャガイモの買い置きもあった中で、入院中には芽もでそうなのでいつものポテトサラダを作る。
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干しシイタケの戻し汁も使って炊き込んだタケノコと干しシイタケのご飯、タケノコと切り干し大根(自家製)の煮物、ポテトサラダ、以上で姉と従兄へのお土産もできた。
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午後病院へ向かう途中で順次お土産を配ってまわった後、1時過ぎには現着。午後になっても満車状態だったがなんとか置く場所を確保。
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すぐに院内の入退院センターへ直行。しばらく好きなコーヒーも飲めなくなると思い近くの販売機で買ったコーヒーを飲みながら順番待ち
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私の番号は30番、入院手続も受け付けが4箇所ある中でもフル可動であった。
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手続き後には指示されたいつもの入院病棟の階へ。今回案内された部屋はすこし東寄りの位置だった。今日は天気も良くて見晴らしがきく。
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担当看護師さんがいつものように食事と水分補給制限の札を持ってくる。ついでに明日の手術の担当先生を聞いてみる。
何故かと言うと、先日の外来診察時に先生から担当科もしくは外科のどちらかで手術しますと聞いていたので。
看護師さんの話からいつもの科外来の担当医のT先生であることが解った。
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消化器系への直接の手術でない為、前日の夕食も普通食とは有難い。美味しくご飯粒ひとつ残さず完食。
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夕食後、外来でも担当でまた明日の手術でもメインとなるT先生が説明の為に入室。改めて手術内容を詳しく説明いただいた後には、いつもの必要書類の説明と署名を。また私から手術箇所が左側である事を改めて確認した後には、左手甲に印をつけていった。
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手術当日の朝を迎える。今日は朝から曇り空である。手術室入室予定時間は一応午後2時との事だが、前の手術次第ではいくぶん早くもなりそうだった。
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浣腸後、午前中より点滴開始。女房も午後一時前には来た。
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いつものように持参した血栓予防ソックスをはく。3年半前に生体検査で初めて手術入院した時に購入したものだが、この病院にてこれほど利用する事になろうとは夢にも思わなかった。
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手術入室がすこし早まり午後1時半になったという事で1時には手術着に着替えて待機。
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予定の5分前には部屋担当の看護師さんが迎えにきて手術室へ徒歩で向かう。手術室の廊下手前の出入り口で手術担当の2名の看護師さんと交代。交代した看護師さんのひとりに、この3年半でここの手術室へはいるのは5回目と告げると、さすがにその期間でそれだけの回数の患者さんは中々居ないとの事であった。
専用廊下を歩いてゆくと本日の手術室は4番と書かれた扉から入室。4番は三年前の二度目の手術と同じ所であった。
手術台にのると早速脊髄への局部麻酔が例のエビぞり状態で処置されてゆく。その後は様々な機器の末端が取り付けられ、胸から下には支柱が渡された後から布で覆われてゆき全く見えなくなる。その間には患部や周辺の前処理や先生による執刀の位置決めがされていった。まだ皮膚での感触がかなりあったのでそれからも十分に想像ができた。
次に先生が麻酔の効き具合の確認作業を始めたが、私の場合はどうも患部の上よりの部分の効きが悪いようで、二度に亘って台の傾斜を変えて麻酔の体上部への効きをうながしていた。そうこうしているうちに担当科の一番上の部長さんのN先生が手術着で入室してきた。効きが悪いので再度の麻酔処理の話もN先生にしていたようだが、それもない中でしばらくして私への名前の確認後手術は開始されていった。

そう言えば30年以上前、他の病院ではあったが同じ手術をうけた際も麻酔の効きが悪くて(もちろん効き具合の確認作業はあったのだが、こちらとしては初めての中でこんなものかとOKの返事をしてしまった)、結果その痛さのあまり血圧も下がってきてまた吐き気もしたりして辛い手術であった記憶がある。

子供の頃から先天的に歯の質が弱くて十代後半からよく叔父の歯科医院に通院し治療を受けていた。それでも進行がひどくて、このままではお前は30歳で総入れ歯になると言われていた。
そんな20代前半の頃、叔父の医院で朝から夕方までの一日貸し切り状態での全歯にわたる特殊なアメリカで発案された当時の日本国内ではまだ普及されていない最新の治療と処置(私にとっては完全な手術の感)を受ける事になった。手術前に限度いっぱいまでの本数を打っても効きが悪くて、叔父からこれ以上は打てないので後は我慢しろと言われ、当時衛生士だったふたりの従妹に其々に手と体を抑えつけられて(痛みから体を動かされると治療ができないので)痛みに耐えながらの丸一日に亘る治療を受けた事があった。医師が身内であるとその甘えもあって我慢さが足りなかったかもしれないが、それでもその日の治療が終わって鏡をみたら目の下にクマのようなものができていて、やはり精神的にもかなりきつかった事を憶えている。

全身麻酔の場合では関係なさそうだが、局部麻酔の場合ではどうやら個体差もあるようで、私の場合は普通よりはどうも効きの悪い体質であるのかも知れない。
当時や三年前まではヘビースモーカー(一日三箱)でありその影響もあるのかと思ったりもしたが、もう禁煙してから三年以上も経つのでそのせいでもなさそうな感じもした。
タバコと言えば、その30年以上前の手術では病棟廊下で喫煙しながら迎えに来る看護婦さんを待っていたところ、迎えにきた看護婦さんがそれを見て開口一番、○○さん、タバコと命とどちらが大切ですかと、たしなめられた事があった。術後強烈な頭痛が一カ月も続いて、これはバチがあたったのだとしきりに反省したりもした事があった(実際には髄液の漏れが多くて合併症をおこしたのだが)。

手術が開始されてしばらくは痛みもなく、せいぜい筋膜が引っ張られるような感触しかなかったが、それでも血圧は下がってきたようで冷や汗感が増してきて、脇にいる看護師さんに訴えると、上が70くらいまで落ちたので医師からの許可を得て昇圧剤の処置がされていった。しばらくして再度同じ症状に、今度は上が80くらいで再び同じ処置がされた。
T先生と部長のN先生との会話のやりとりを素人ながら聞いていると、どうも腸との癒着が大分あるようでその分手術が長引きそうな気がした。今回の手術は三年前の全摘手術からの合併症としての発症でもある為に、外科にまわさず自分の科で受け持った感もあった。
基本的には今回のは難しい手術ではないようだが、同じ手術でもフタを開けてみると状態がすこし手こずるような場合もあったりする事もあろう。手術とは根治や病気の低減の為に行われるものであるが、言葉が悪いかも知れないが手術はカエルの解剖とは違い人体での生きた教材でもある。また血管の位置ひとつとってみても個人差はあるだろうし今回の私のように想像以上の癒着があったりする事もあるだろう。手術も時間の経過とともに次第に先生どうしの会話のやりとりも多くなっていった。癒着した腸を中に戻してそれから傘状のポリプロピレン製の栓をするようだが、会話のやりとりの中でアンブレラの言葉が何度か聞こえてきて手術の進行具合も想像したりもした。その後は違和感や痛みがでてきてそんな余裕も無くなっていった。

他の仕事でもそうなのだが修繕的な仕事でも基本的な知識や技術がないともちろんできないが、現場にいって初見してからその場で考えて対処しなければならない事も多い。
兎に角ひとつでも多く経験する事が一番に身につくものであり、40年間ずっと一部ではそのような仕事もしてきた中で実感させられるもので、息子などと一緒の時で現場の急に発生したトラブルや修繕での仕事が手こずるような様な場合、私がメインでやれば早く仕事は片付くが、それでは息子の為にはならないのでできるだけ手をださずに、時間がかかろうと我慢してせいぜいポイントだけはアドバイスしてメインの部分には手を出さない。またどうしても作業が前に進まなくなった時だけには手を出す事もあるが、それでも本人が散々に試行錯誤した後でもあり、息子にとってはそのような時には目からウロコとなり忘れないものとなる。
術中にも師と弟子の先生とのやりとりから、まだ余裕のあるうちはそんな自身の事を思い起こしたりもしていた。

時計が見れない中で感覚では手術が開始されてすでに一時間以上は経っていたような中で、患部付近の麻酔の効きが悪くなってきたような気がして、特に筋膜が引っ張れる感覚が段々と増してきた。また加えて痛みもでてきたのでまた看護師さんに告げると、今度は痛みどめも注入してくれた。
看護師さんから「現在は血圧の方は安定していますよ」との事で、「もうすこしですから頑張って」と、また大きく深呼吸をするような指示も何度かあった。

胸から下は布で覆われて見えないが、もうひとり看護師さんではない女性の声が以前から時々聞こえてくる。特に部長先生とのやりとりからどうやら新しく就任した科のまだ経験の浅い女医さんのような感じもした。
先ほどの私の話ではないが、後学の為に師である部長先生が連れてきたのではとも思われたりした。
術が終わり縫合の頃には部長先生や女医さんらしい姿はすでに無かった。
看護師さんから「はい、終わりましたよ、後は切った所を接着剤も使って縫うだけですからね」とマスク越しにやさしく言ってくれて、後半は想像以上に苦しかっただけにその安堵感からか、それがまるで天使の声にも聞こえてきた。
メインで手術していただいた日頃からもお世話になっている担当医でもあるT先生には改めて感謝するばかりだが、終始一番近くで様々な処置をしながら寄り添いそして励ましてもくれた看護師さん(入り口で名前の紹介もあったが失念)には、それも仕事のうちではあろうが、苦しい中では尚更にやさしさやまたその有難さを感じたものであった。患者側にとっては精神的にも辛い面を補ってくれる事は実に嬉しく、時には喜びにも変わってきて、大袈裟かもしれないが感動的な気持ちにもなったりした(私の場合は手術開始と終了時)。これは意識のない全身麻酔では経験できない事であった。

縫合後には先生自らの処置で体内に管が入れられるが、どうも狭ばまって入れづらいようで、私にはトラウマ的になっているブジー使用の言葉も出てきた。ただこの時はその部分ではまだ麻酔が効いているのでさすがに痛みは感じなかった。
それでも部屋に戻った時にはたいした時間も経たないうちに両足とも麻酔が切れてきて2時間も経つとほぼ元に戻っていて(いつもだと帰室後3時間以上経たないと切れてこない)、やはり手術時間が通常よりは掛かっていたのかとも思われた。

朝までは寝がえりをうつ程度で安静を続けた中、また差ほどの痛みも感じずに過ごせた。指示通り朝6時になると起き上がってみたが、さすがに起き上がりやベッドでの座り、また歩き出しでは筋膜も寄せて縫合しているようで結構な痛みがきた。
朝イチではまだカテーテルから伸びた容器が歩行できる状態になっていなかったが、その後看護師さんがきてから点滴台に取り付けてもらってからようやく歩行可能となった。
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術後翌日の朝食、前日の手術と麻酔の影響か、さすがに食欲はなくご飯は殆んど残した。
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術後の経過は良かったようで予定通りの退院とはなったが、あの全摘手術でさえ翌日からは歩行のOKが出ていたくらいで、30年40年前とは医学の進歩も手伝ってか、またここの病院はベッドもフル回転のようで尚更に入院日数が少なくなっている。今回などのような術後検査の判定が必要ない場合などでは、熱や特別の症状でも発生しなければ即退院となる。しかしその分自宅へ帰っても数日はトイレや庭を歩く程度しか痛みの為にできない。痛みどめも処方してもらって飲んでいるが、きやすめ程度しか効いてこない。
試しに台所に立ってみたが、時間と共に痛みも増してきてとても料理作りどころではなかった。
退院して二日程は女房の上げ膳据え膳で食事をしたが、また内容と言えば出来合いのオカズやインスタント味噌汁ではあったが、内容はどうあれ女房による上げ膳据え膳の食事は殆んど過去の記憶にも無いほどの出来事であり、それほどの新鮮さも感じて、たまにはこれもありだなと思えた。しかしこれを味わうにはあまりにも代償が大きい気もしたものだった。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
奥様の手料理には沢山の愛情が込められていたと思います
こちらまで嬉しくなりました
くれぐれもあまり無理をしないようにお願い致します ニッコリ
kyoumama216
2018/04/17 19:05
kyoumama216さん、こんばんは。
一年半ぶりの手術でしたが、今回のは合併症からのせいかかなりキツイ面も多くありました。
女房の上げ膳据え膳は退院して二日間程続きました。内容的には出来あいの物ばかりでしたが、たまにはいいもんだなと感じました。
いつもご心配をいただきまして、ありがとうございます。

マナオ
2018/04/17 20:10

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